見やすいブログを目指して

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近頃のブログ……いや、ネットコンテンツはごちゃごちゃしていて非常に見にくい。昔もいらぬ仕掛けが多数ある個人サイトなどはあったが、それは一部だった。今はすべてのサイトがまるで「歌舞伎町の下品で統一感がないネオン」かの如くこちらの視覚を刺激してくる。

これは別にサイトに貼られている目障りな広告だけの話ではない。文字の装飾にしてもボタン一つで簡単に付け足せるようになった結果が、このような

今日は10万PV数達成のす。本当はいいたくないんだけれどもね! ここまで本当に長かったけれどもみなさんのおかげでここまで来ることが出来ました本当に感謝です! まじ感激!

読みにくい文章が乱造される結果を招いている(適当に作っただけだがアドセンスの広告みたいになってしまった)。

自分もブログを始めたときは装飾文字を多様していたが、読みにくいし時間がかかるので止めた。たしかに装飾がまったく使われていない記事は、使われているそれと比べ、少し寂しい感じもする。しかし、そんなことに労力を費やすなら、記事の内容を充実させる方が読者は喜ぶだろう。

俺にとっては「広告=ウイルス」だ

そもそも俺は世のネットユーザーに問いたい。ネット広告を君たちは見ているのか? 俺はまったく見ない。

俺は最初ユーチューバーなるものが現れ、そいつらが広告料でとんでもない金額を稼いでいると聞いたとき耳を疑った。なぜなら自分は絶対に広告をみないからだ。世の中それほど多くの人間がネット広告を見ていることが信じられなかったのだ。というか今も信じられない。広告ブロックをせずにyoutubeを見ている奴は何を考えて生きているのか本当に理解ができない。

俺はブラウザに広告ブロックの拡張機能をいくつも付けて、新しい種類の不愉快な広告が世に蔓延り始めた瞬間、必死で調べて徹底的に視界から排除する。俺はこの行動をネットユーザーみながやっていたと思っていたのだが、どうもこういった人間の方が少数派のようだ。

ネットの黎明期にアダルトサイトで散々痛い目を見た後遺症なのか、「広告=ウイルス」という、とんでもない偏見が自分の中にある(笑) 「広告を見ないとネットコンテンツは潰れる」という人がいるが、その程度の事で潰れるようなものなら、俺は潰れてもいいと思っている。

それよりも日本人のパトロンを否定するような思想の方がよほど文化にとって損失があるのではないだろうか。

この国では広告を出す企業と世間に媚びることを「仕事」と呼び、何かを作るための支援を直接受けとることを「乞食」と呼ぶようだ。だけれども、「乞食」に企業が中抜きの形で参加するとそれを世間は「仕事」と呼ぶようになる。

いらない物はなるべく排除

この「九条太輔ブログ」は広告が少ない。トップページはこんな感じで、広告ブロック機能でチェックしてもなにもついていない。

そして記事のページもアドセンス広告を一つ付けているだけ(アドセンスの記事一つでこれだけいろいろな物が追加される)。

これ以外にも外せる物は極力外した。wordpressのプラグインなんかも削れるだけ削ったのが今の形だ。いろいろ削った結果、見る方も見やすいだろうし、管理する方も楽だ。

俺にとってブログや動画はあくまで世の中に伝える道具であり、その中身の方がずっと大事だと思っている。料理屋は客に出す料理を一番大事にしないといけない。

これからのネットコンテンツ

今のネットコンテンツは文字と広告以外にもたくさんの装置が、見ている人の気を散らせる。時間に追われる現代人は、好きで見ているネットコンテンツの中でさえも忙しさを無意識に強要させられる。ただここまでくると、ユーザーがそのカオスを求めているのかも知れないとまで思えてくる。

最後に”これからのネットコンテンツ”を作る担い手である自分の意思表明として、俺の作るコミュニティに参加しているときくらいは刺激に疲れた人は当然として、”カオスを好む人”もゆっくしていってほしい。そう思い、俺はブログを書いている。